全国サミットレポート

2015年3月8日(日)東京・六本木にて、地域おこし協力隊全国サミットが開催されました。その模様をお伝えします。

2015年11月28日、全国から地域おこし協力隊員、自治体職員、一般の方など、総勢約800名が集い「第2回地域おこし協力隊全国サミット in ひょうご」が行われた。第1回の東京・六本木ヒルズ(2015年3月)から神戸・ポートピアホールへと会場を移した第2回も、前回同様の盛り上がりをみせた。その様子をお届けする。

Stage1 挨拶・PRタイム・特別講演 挨拶・PRタイム・特別講演

書道家・薛翔文 (せつ・しょうぶん)さんによる書道パフォーマンスで幕を開けた「第2回地域おこし協力隊全国サミット in ひょうご」。
アナウンサーより、「地域に入り込んで活躍する何人もの協力隊の友人に想いを馳せながら、その活動を盛り立てる元気よさ、沢山の方の目にとまる力強さを意識して書き上げられました。」と説明があった。

はじめに挨拶したのは高市早苗総務大臣。
地域おこし協力隊の任期は3年間だが、「任期終了後も地域で起業・就業・就農する割合は約6割にのぼります。また、隊員の約4割を占める女性の定着率は男性より高い傾向にあり、同じ女性として誇らしい」と、協力隊の定着率の高まりと、女性隊員の活躍ぶりを笑顔で報告した。さらに、「地域で開業・起業する際の財政支援、ニーズにマッチした研修の実施、さらには地域側の受け入れ体制を整えるための支援も充実させていきます」と、今後一層、支援を拡充させていく旨を述べた。11月28日は、大航海時代のポルトガルの航海者であるマゼランが、大西洋から太平洋に到達した日であることになぞらえ「フロンティア精神を持って地域の最前線で活躍し続ける人材に」と、参加者たちにエールをおくった。

続いて、開催地の兵庫県を代表し、金澤和夫副知事が挨拶。全国から集まった多くの地域おこし協力隊、自治体関係者、地域おこし協力隊に関心のある一般の方への感謝の意を表した。「兵庫県では、平成26年度から県独自の仕組みとして『ふるさとづくり青年隊』という制度を始めています。地域内の若者と地域外の若者をマッチングして地区にチームをつくり、地域外の若者が地域に通いながら地域内の若者と協働するという制度です。今年は12地区で151名の青年隊が活動しており、若い人材が地域で生み出すパワーに期待しています。」と兵庫県の取組を紹介した。

プログラムは全国の地域おこし協力隊によるPRタイムへと移り、全国から集まった約350人の隊員が檀上にあがった。地図で活動市町村の位置を示したり、写真やポスターで地域資源や活動内容を紹介したり、被り物や横断幕でインパクトを強めたりと、15秒の制限時間を目一杯に活かしたスピーチが続く。自治体ごとのカラーや創意工夫が感じられる多彩な演出に会場が沸いた。

次に、株式会社四万十ドラマ代表取締役の畦地履正さんが「田舎ビジネスおしえちゃる!」と題して特別講演を行った。四万十町(旧十和村)出身の畦地さんは、1987年にU ターンし農協に勤めていたが、1994 年に株式会社四万十ドラマが1名の常勤職員を全国公募した際、その職員として採用され、現在は代表を務めている。

「四万十ドラマは地域を見ることから始め、地域の人たちと一緒に地域ならではの特産品を開発・販売する地域商社です」と紹介。「初めは期待されていませんでしたが、手仕事で鉈や包丁をつくる鍛冶屋さん、川舟職人さん、木の名前はなんでも知っている山師さん、静岡から移住してきたお茶農家さん、130人の生産者を束ねてISO140001を取得して国際基準の野菜をつくっているおばちゃん達、天然の鮎・鰻を焼かせたら天下一の漁業組合長など、人と会い、地域を知ることから始めました」 現在は、特産品である「しまんと地栗」を活かしたビジネスに注力している。「大きくて甘い、ではなく、数値データをとりました。」栗の重量の全国平均は20グラムほどだが、しまんと地栗は平均25グラムほど。また糖度は、市販の甘栗で10度ほどだが、しまんと地栗は蒸した状態で20度ほど。客観的な数値で宣伝した。 さらに、6次化産業のポイントについて「『つくる産業』の基盤なくして6次化の発展はありません。第一次産業がしっかりしていないと6次化は成り立ちません」と、きっぱり語った畦地さん。新しい栽培技術を導入、栽培基準の統一、栽培管理体制の構築など、しまんと地栗栽培の抜本的な見直しを実施。「岐阜県から栗の剪定のプロフェッショナルが四万十に移住してくれたのですが、栽培量と質、ともに飛躍的に伸びました。」しまんと地栗栽培の基盤が強固となったことを背景に、これまで栗ようかんや栗きんとんだけであった加工品も、ペーストやモンブランなどの洋菓子など、バリエーションが増えた。もちろん加工も最初から最後まで地元の住民の手で行う。加工品の売上が伸びることで、生産者から直接、高値で定量を仕入れることが可能になる。好循環が生まれている。 しまんと地栗の専門店を東京・パリに出店するのが夢だと語る畦地さん。「ヨーロッパHACCPを取得する最新の工場を四万十に建てて生産力を上げたい。この工場で活躍する協力隊が来てくれれば。」自分のやりたいことを明確にして旗印を掲げることが仲間づくりのためには重要だという。 最後は、「国が『地方創生』を掲げていますが、地方は外に寄りかかってはいけない。『地方はジブンで考えろ』です。」と発奮を促し、講演を締めくくった。

Stage2 地域おこし協力隊トークセッション 現役隊員の語る挑戦・夢・悩みや、隊員OB・OGからのアドバイス

司会として『農山村は消滅しない』などの著書をもつ明治大学農学部教授の小田切徳美先生、コメンテーターとして株式会社四万十ドラマ代表取締役の畦地履正さんを迎え、6名の地域おこし協力隊員、隊員OB・OGによるトークセッションが行われた。

まずは、現役隊員3名の自己紹介からスタート。
2014年4月から兵庫県朝来市で活動中の加藤貴之さんは、東京都出身。歩くことが好きな加藤さんは、朝来市の隊員となる前には“飛脚”として起業した経験を持つ。今月、同じ朝来市地域おこし協力隊員である妻・奈緒子さんと、活動地域である生野地域の象徴ともいえる生野銀山で挙式したばかり。「生野銀山での結婚式は初めてということもあり新聞記事にもなり、少しは地域貢献できたかもしれません。協力隊としては、地元の公民館の前で、『ふれあい屋台』を出店して、地元で採れた食材を使って調理したお惣菜を地域の方に販売するなどの活動をしています」。
2013年6月から北海道夕張市の隊員となった高橋沙紀さんは、青森県出身。「自分のことを知っている人がゼロの環境で自分を試してみたい」と夕張市へ。特産品のPR・販売や、東京で劇団員として活動していた経験を活かしてイベント運営では司会役もこなす。「他に、参加者全員と話せるように、敢えて小規模にした街コンを企画して、これまでに2回実施しました。先日、初めてカップルが誕生したと報告を受けて喜んでいます」。
2013年4月から愛知県東栄町の地域おこし協力隊「燈栄隊」となった大岡千紘さんは、沖縄県生まれ和歌山県育ち。大学時代に携わった地域おこしのプロジェクトで、島根県の石見神楽に触れ、地域・神楽にハマり、全国各地の神楽をみてまわった。「その中の一つが、国の無形重要文化財に最初に登録された『花祭』で、これをきっかけに東栄町を知りました。」現在は、東栄町で産出される「セリサイト」というファンデーションの原材料となる鉱物を活かして、地元の企業と連携し、パウダーファンデーション、クリームファンデーションなどのオリジナルコスメの手づくり体験ができるビューティーツーリズムを、2015年6月から始めている。
続けてOB・OG3名の自己紹介。
2009年11月から秋田県上小阿仁村の協力隊員となったOBの水原総一郎さん。村役場より10キロほど離れた山奥にある八木沢集落に入り、閉校した旧八木沢分校(現公民館)で暮らしながら、途絶えていた伝統芸能の「八木沢番楽」の復活に向けた取組や米づくりの復活や集落で暮らす方々の生活支援に携わってきた。協力隊としての任期終了後は、村役場にデスクを置き、地域活性化応援隊という新たな肩書きを得て働いている。「2012年から継続して開催している『KAMIKOANI PROJECT 秋田』という現代アートのイベント運営や、出身大学の武蔵野大学と提携して、キャリアデザインという授業の中で、学生たちに上小阿仁村に一週間ほど滞在してもらい、民泊やボランティアを経験することで上小阿仁村の良さを知り、それを村の人に伝えてもらうというプロジェクトを運営しています」
2011年4月から岡山県美作市の協力隊となったOBの藤井裕也さん。学生時代の失恋をきっかけに「自分を変えたい」と一念発起して協力隊に応募。「2年目から担当になった梶並地区は空き家が200軒ほどあり、余りに寂しかったので、新しく仲間を呼べないかとシェアハウスを始めたところ、最初の入居者がひきこもり経験があり、メディアにも取り上げられたことから、同じような経験のある方からの入居希望が続きました。これをきっかけに『人おこし』に注目した事業を始めました。事業を進めるにつれ仲間も増え、移住者は20~30人になりました。今は法人を設立し、市内唯一の高校で週5コマ授業の企画も受託しています」
国際交流NGOピースボートの職員を経て、2010年10月に自分が生まれ育った種子島にある鹿児島県西之表市の協力隊となったOGの遠藤裕未さん。「様々な発展途上国を訪れ、現地の課題と向き合ってきましたが、自分のふるさとが色々な課題を抱えていることを知り隊員に応募しました。埼玉県からのUターンでしたが、祖父が協力隊としての活動地域である生姜山集落にある小学校で校長をしていた縁を知り、使命感に燃えています。活動としては、生姜山地域でかつて生産が盛んだった『生姜』に着目し、栽培から商品化までを手がける法人を設立し、『生姜農園プロジェクト』を進めています。最近農園カフェをオープンしました」

自己紹介に続き、現役隊員たちが「直面している課題」や「将来の夢」について語った。
大岡さんは、「夢は沢山あり語りきれないですが、もっと情報発信をしていくためにも、ビューティーツーリズムを軸とした活動を続けながら、現在町にはない観光協会の設立を進めてきたいです。現状の課題としては、協力してくれる方はいらっしゃるのですが、主体的に協働してくれる人は、まだ連携している企業の社長さんと私だけです。仲間を増やせるように、今、地元の女性を中心に働きかけています。」と語る。小田切先生が「四万十ドラマも最初は一人からのスタートでしたが」と畦地さんにアドバイスを求めた。畦地さんは、「地域をまわり、人を知り、この人は!という志ある方を一本釣りしていきました。地域にも温度差があるので、みんな一緒はなかなかむずかしい。諦めずに、しぶとく、本気でぶつかり続ければ、共感してくれる人は必ず出てくるものだと思います」と、自身の経験をもとに力強く大岡さんを励ました。

高橋さんは、赴任当初の頃、夕張メロン農家さんと飲みながら話していたときに「夕張はメロンだけじゃないんだよなぁ」と言われたことが、ずっと心に残っているという。「夕張というとメロンや財政破綻が連想されがちですが、協力隊として活動する中で、それらだけでは決して語りきれないという思いが強くなりました。」「夕張市の一番好きなところはやはり『人』です。『住めば都』といわれるように、どこでも住んでしまえば『人』はいいんじゃないの、とも言われますが、夕張の人は夕張にしかいません、当たり前なのですが。夕張には、地域活動をしている人がとても多いんです。お酒を飲みながらでも、井戸端会議でも地域を盛り上げるためのアイデアについて活発に話をする皆さんは、地域おこしの先輩ばかりです。任期終了後は、夕張のみなさんとメロンや財政破綻だけではない夕張について情報発信を続けていければと思います」と語る高橋さん。
小田切先生は、「お金が人を呼ぶのではなく、人が人を呼ぶといいますね」と指摘すると、畦地さんも「四万十ドラマではインターンシップ受入事業を続けてきて、これまで300人ほどを受入れましたが、その中で30人ほどが最終的に定住にまでいたっています。インターンシップの間で出会った四万十の人とつながりが大きかったのではないでしょうか。」と、コメントした。

加藤さんは、「今住んでいる生野の集落は45軒のうち一人暮らしの高齢者が10軒強あり、買い物にも中々出かけられないし、料理も億劫になって出来合いのものですましてしまう方も少なくありません。こういった方々にできたての美味しいお総菜を届けたい。生野は鉱山の町であり、日本中から多くの人が集まってきた町ですので豊かな食文化があります。また毎日300人いらっしゃる観光客をターゲットにして名物料理、お好み焼き、たこ焼きに並ぶ第三の関西の名物料理を生野から発信したい、というのが私の夢です。ただ問題がありまして、私自身は小松菜とチンゲン菜の区別がつかないほどの料理の素人で、地域のお母さんに助けられてばかり」と不安そうに顔を伏せた。そんな加藤さんの姿を見た畦地さんは「加藤くんは、お母さんたちに好かれそうなキャラクターをしている。加工の仕事はお母さんたちにお任せして、自分は販売に専念するという役割分担をするのも良いでしょう。ライバルが現れても仲間に巻き込んでしまう感じで頑張って」と、背中を押した。

現役隊員の思いに続き、OB・OGが、自分たちの経験を踏まえてアドバイスを送った。
遠藤さんは、生姜山農園をたちあげたときに、パッケージからウェブまで、各種デザインを担当してくれていた同期の隊員が、任期終了後に辞めてしまったときの経験を振り返り、「パソコンを使える人も中々見つからない地域なのですぐに代わりは見つからなかったし、私自身にも妊娠出産という生活環境の変化があり大変苦労しました。自分が休んでも回っていく体制をつくるために、仲間探しを進めておいたほうが良いと思います」と話した。

藤井さんも数々の失敗経験を振り返り、「地域の皆さんや行政の人たちが、協力隊員をフォローし、守ってくれました。失敗をしても集まってきてくれる仲間がいました。自分の姿勢次第でたくさんの応援をいただきながらチャレンジを続けることができる。そんな期間が3年あると考えてやってみてほしいですね」とエールを送った。

水原さんが、「上小阿仁村に来て6年になりますが、昨晩、初めてある農家さんから『君はわからないかもしれないけど、君が来てくれて村は変わったんだよ。都会から来て楽しそうにやっている君みたいな若者がいると元気づけられるよ』と言っていただき感激しました。そして、そのような言葉を受けて自信を持って言えるのは、自分がこの地球上でも指折りの上小阿仁ファンなんだなということです。協力隊の皆さんもまず自分が楽しみ、地域を愛せば自分のもとにかえってくるものもあるでのは、と思います」と語った。

小田切先生は、協力隊の抱える悩みとして大きく2点、①仲間をいかにして増やしていくかについて、と、②行政との関係について、指摘。仲間をいかに増やしていくかについて、畦地さんは「繰り返しになりますが、まずは自分がやりたいことについて、明確な旗印を掲げることが効果的です。仲間がいない、だから始められない、ではありません。最初の段階で仲間がいなくとも、周囲からみて明確な旗印を掲げてまず始めてみる、挑戦してみる。そうしているとその旗印に気付いて近づいてくる仲間があらわれるのではないでしょうか。協力隊は3年間も自分のやりたいことに挑戦できる機会が与えられている。存分に活かして欲しい」と奮起を促した。また、行政との関係については、「行政の担当の方には、協力隊を見守っていて欲しい、応援団でいて欲しいとは思うが、協力隊も行政に頼ってばかりではいけない。繰り返しになるが、自分がチャレンジし続けることで地域の中でファンになってくれる人を見つけていけばよい」と答えた。

小田切先生は、「協力隊・地域・行政の3者の関係をいかにうまく構築していくかについて、しばしば議論になりますが、おそらく重要なことは、3者それぞれのスピード感が違うということではないでしょうか。協力隊の方々は、ある種、地元にしがらみのない中、何かしらやりたいという思いで外から入ってきていますから、もの凄いスピード感を持っています。その一方で、行政がそのスピード感に時々ついていけない、ということが指摘されますが、これは行政の仕組み上、仕方のない部分があるのかもしれません。また、地域の方々も、協力隊からすると腰が重く感じられることもありますが、一度地域の中で合意形成がとれ本気になった途端、協力隊のスピード感を追い越しますよね。このように、それぞれのスピード感には特徴があるのだということを理解すると、色々悩んでいることも、それだけで解決するわけではありませんが、心にかかる重荷が軽くなるのではないでしょうか。この3者のスピード感の違いについては、一度しっかりと議論すべきと思います」と指摘した。

現場からのリアリティあふれる言葉や体験を共有でき、参加者それぞれが地域おこしについて思いを馳せた時間になった。
最後に、小田切先生が「皆さんのお話をうかがって、協力隊の活動が非常に多様になっていることを再確認できました。また協力隊の皆様が旗印を掲げて仲間を集めていくこととその旗印が明確であるほど地域に仲間が増えていく、と畦地さんにアドバイスもいただきました。みなさんに大きな拍手をお送りください」と締めくくった。

Stage3 地域おこし協力隊活動報告 地域づくりのヒントにあふれた実績

続いて、現役隊員や隊員OGからの活動報告が行われた。
まず、愛媛県今治市の隊員の小松洋一さん。東京で働いていたが、子どもが生まれたのを機に自然豊かな環境を求めて2015年4月に移住した。「大三島はしまなみ海道沿いにあり、瀬戸内海で5番目に大きな島ですが、人口は35年間で半減し、私が活動している上浦地区は高齢化率52%です。3年間の目標は、①20年後、30年後を見据えた生活の基盤をつくること②前職で7年間マーケティングに携わった経験と海外大学院に留学をして身につけた語学力を活かし、サイクリストや外国人観光客について調査すること③地域の方が大切にしていることを知り尊重することです」。これまでに14のイベントを手伝いながら地域の理解に努めてきた。任期終了後の定住、自立を見据えて力を注いでいるのは、地元の特産品である柑橘類からおこした酵母を活かしたパンの開発だ。短時間で発酵可能なイースト菌に比べ、柑橘酵母での発酵には時間がかかるが、イースト菌から焼いたパンには出せない香りと味わいの深さが出るという。「オリジナルの薪釜を製作して柑橘酵母パンをつくりたい」と地域の方々に語り続けていると、地域活性化協議会が積極的に協力してくれるようになり、8月から約3カ月かけてオリジナル薪窯を作った。「上浦支所で試食会を開き好評だったので、今後はイベント出店やパン教室の開催、子ども向けのワークショップなどを実施したいと思っています。また、土地固有の酵母を使ったパンはオリジナリティのある商品ですし、かつ、日本全国どこでも同様の取組が可能です。薪窯の作り方、酵母のおこしかたなどをネットで公開しているのでみなさんも是非挑戦してみてください」。
次に、奈良県川上村の隊員、通称「かわかもん」の鳥居由佳さんは、2014年に吉野杉の原木を丸ごと1本買った女性としてネットニュースに採り上げられ、あっという間に話題の人物となった。「大好きな海を守るためには山が元気でないといけない、と林業の大切さを知り、運命のように奈良の吉野杉と出合いました。林業の素人だったからこそ、原木の丸太を買い、皮を剥き、乾燥させて加工まで自分でやってみようという発想ができたのだと思います」と語る。
サプライズで“仲良し”の栗山忠昭村長を紹介して、村長が壇上にあがる一幕も。「川上村は源流の村としてのまちづくりをしてきましたが、人口1,600名、高齢化率56%の村の体力の低下は顕著です。そんな村にやってきたかわかもんにはいいところがいっぱいあります。まず、あつかましいですよ(会場から笑い声)、でもそれがいい。人懐っこい。物怖じしない。何事にも前向き。村の課題に真摯に向き合う。若者らしい想像力や価値観を持った人が村人に交わって良い化学反応が起きています。かわかもんと地域住民とが一緒になったまちづくりの蓄積が、次世代につながることを期待しています」と語った。
鳥居さんの発表は続く。「おすぎ」と命名された吉野杉の原木は、テーブルや屋台などに形を変え、その魅力を多くの人に伝えている。「大阪の木工屋さんとコラボして「おすぎ」から加工したテーブルや屋台を使用して林業地のお酒を提供する期間限定“林業BAR”の開催や、隣町のデザイナーと組んで“林業キャッツアイ”というユニットを結成し、デザインマルシェへの出展などを通じて林業のPRなどをやってみて、地域外にも仲間はいると実感しています」。年内に吉野檜の「ピーコ」を購入する計画を発表し、メディアもうまく活用しながら活動を全国に広めている。あと数カ月で任期を終えるが、「吉野林業からも大好きな仲間のいる川上村からも離れるつもりはありません」。最後は「役場の担当の方が汗を流しに流して10名の活動をサポートしてくれており、とても感謝しています。行政の方とのおつきあいも思いやりが大切だと実感しています。」と締めくくった。
三人目は2011年4月からの2014年3月までの3年間、茨城県常陸太田市の隊員として、同市里美地域で活動していたOGの長島由佳さんは、任期終了後2015年3月に合同会社ポットラックフィールド里美を設立した。「地域内外の人の得意なことを持ち寄るという意味を込めた社名です。地域の持続、維持という目的のために、地元の皆さんがこの町に誇りを持ち、主体的に関わりを持てるように、地域イベントのサポートや企画・運営、小中高大から社会人までの教育・研修、WEB制作などの情報発信などを事業としています。協力隊としての「半分役場の人」という立場から離れて一住民という立場にかわったことで、活動の期間・期限を自分で設定できるようになるなど、自由になる部分もできました。」
また、市からの要請を受け、観光協会で農家民泊の受入コーディネーターとして活動したり、協力隊アドバイザーとして、近隣市町村で活動する協力隊のサポートなどにも取り組む。
隊員時代から続けている取組に、地域のお母さんたちと一緒になり、地元食材を使用して開発・調理した「里美御膳」を、四季折々に日数限定で、飲食店にて提供するというものがある。「調理作業はお母さんたちに時給を払ってお願いしていますが、信頼関係が深まるにつれ、これまでフルメンバーでやっていたのを、シフトを組むことで人件費を抑えたり、作業効率が良くなるようにチーフ役、会計役などの役割分担をしたりと、自主的に工夫してくれるようになりました」。常設にしてはどうかという意見もあるが、これまでどおりの運営のあり方が、忙しいお母さんたちのライフスタイルに合っていると感じている。「都会で働いていた頃は“くらし”と“仕事”が分断されていましたが、里美では“くらし”と“仕事”とカタカナの“シゴト”、これは地域のお祭りやごみ収集当番など稼ぎにはならないけれども地域を維持していくために必要なシゴトですが、この三つが重なり合った生活ができています。」代々その土地で暮らしてきた人のことを「土の人」、外から来た人のことを「風の人」と呼ぶが、自分はその土地にじわじわしみ込んでいくような、いうなれば「水の人」になりたいと語る。最後に「逆説的ですが、小さなコミュニティにコミットするほど世界観が広がり、奥行きがうまれることを実感しています。」と締めくくった。
最後に、大分県臼杵市の隊員の小金丸麻子さんは2013年10月から活動をはじめ現在3年目。農林水産省の交付金を活用した「旧田舎で働き隊」として、「うすきツーリズム活性化協議会」に所属して、移住希望者向けのモニターツアーの企画運営や特産品の新規開発サポート、インバウンドの推進、グリーンツーリズムの事務局業務などを担当している。「私が行っているのは、地域の点と点を線にする“つなぎ役”。業務の柱であるグリーンツーリズムと地域内資源を組み合わせたコラボ企画をいくつか継続して動かしていますが、地元の人でも知らなかったような資源に気づいてもらうきっかけになるし、その気づきが次の新しい活動につながることが多いですね」と手応えを感じているようだ。現在75歳の事務局長から世代交代を期待されている。
また、住居でもあるコミュニティハウス「A・KA・RI」の運営を2014年6月から始め、オフィスや会議の場として使うだけでなく、Iターン・Uターン希望者などの拠点にもなるよう活動中。移住支援を担う市の協力隊とも協働している。「市役所の方が積極的に情報発信に努めていただいたことが、複数のメディアにとりあげられるきっかけにもなりました。行政に活動を理解していただき、積極的に支援していただいています。私たち“よそ者”が地域の人と連携して活動していくには、人脈と信頼関係を築いていくこと、そして適度な自由度があることが重要。あくまでも主役は地域の皆さんであることを忘れない気持ちも大切です。受け入れられたい、愛されたいと思うなら、先に自分たちから愛せばいい。『この人たちが笑顔でいられるように』と考えて動くようにしています。例えば、もらいものも無碍に断らず、笑顔でありがとうと受け取る、美味しかったよと感想を伝えることを大事にしています」とアドバイスした。もうすぐ任期が終わるため、法人化も視野に入れながら臼杵に住み続ける準備を進めいくという。

活動報告を聞き終えた小田切先生は「協力隊となった動機やプロセスが多種多様であったように、活動内容も様々でした。性急な一般化は避けるべきだとは思いますが、4名の皆様の発表から教訓とノウハウが得られたように思います。今治市の小松さんは、移住の手段として協力隊を活用し、起業を目指しながら地域活動にも積極的に関わり地域からの信頼を得ていました。川上村の鳥居さん、みなさんも驚かれたと思いますが村長との距離の近さ。仲間を他の地域につくるという話もでました、別の言葉で言うと広域連携です。常陸太田市の長島さんの『ようやく民間になれた』という言葉には驚かされました。小さな成功体験の積み重ねが地域のみなさんの当事者意識を生み出しているというお話から、地域おこし隊は、その地域の人たちの “気持ちおこし隊”なのかもしれません。最後に、臼杵市の小金丸さんの『地域でがんばっている人と働きたい』、という話は、人を呼ぶのは人だということを再確認させられました。また、地域の人が主役であるという言葉から、協力隊の原点を教えられたように思います。フロンティアで活躍する地域おこし協力隊のみなさんの挑戦に触れたこのサミットは、単に成功事例を聞くだけのものではありません。多くは失敗を伴った数々の挑戦から、ノウハウや教訓を参加者一人一人が自分なりに一つでも抱えて地域に持ち帰るためにあるのだと思います。今後ともこのようなサミットが続いていくことを願います。」と総括した。

今回のサミットには、全国から約800名の方々が参加した。交流会会場で全体会の感想を聞いてみると、たくさんの出会いや刺激があったことはもちろん、自らが課題を解決するヒント、起業や開業に踏み出す勇気など、様々な収穫を得た喜びが伝わってきた。

参加者の声

<協力隊>

「10月に隊員になったばかりですが、道しるべとなる話を聞くことが出来ました。」
「隊員になって2年目。任期終了後の事業計画についていろいろ考えていたところだったので、OB・OGの話を聞けたのが良かった」
「どうやって地元の人を巻き込んでいくのかという話が参考になりそう。旗印を立てると人が集まってくるというアドバイスが心に響きました」
「事例を聞いて学ぶ人あり、大勢と交流する人もあり、少ない人数でじっくり話す人ありと、めいめいの目的をもって参加できるのが良いと思います。会場に来られなかった人にも、この熱や想いを伝えたいですね」
「抱えている問題は違うけれど、楽しんで続けていこうという姿勢を同じくする方と出会い意気投合しました」

<自治体職員>

「行政と隊員の感覚にズレがないかを確かめにきました。隊員志望の人たちが何をしたいかをしっかりと聞き、受け入れ体制を整えておくことが大事だと感じました」
「PRタイムで目に留まった隊員さんに、こちらから声をかけてお話していました」

日頃はそれぞれの地域で活動している協力隊員や自治体職員が、“横のつながり”を得られることも、サミットの醍醐味のひとつだろう。
中締め後も熱心に意見交換を続ける参加者も。
参加されたすべての皆さんの、さらなる活躍を心から期待したい。

第1回全国サミット事後レポート
第3回全国サミット事後レポート