サイト更新のため、壱岐の風景の撮影に出かける髙田さん

移住者向けサイト「いきしまぐらし」の記事執筆や編集業務等

  • 長崎

長崎県 壱岐市 地域おこし協力隊 現役隊員(任期:2020年4月~)
髙田望さん

偶然訪れた壱岐が、新しい生活の場所に

東京都出身で、都内の美術品オークション企業でカメラマンをしていた髙田さん。

「元々、美術鑑賞が好きで、アートの世界に興味があったことから専門学校に通って写真を学びました。卒業後は、アルバイトをしながらフリーランスでイベントの撮影や作品制作をしていました。在学中から、町をテーマにした作品を撮り続け、ある公募で入選して東京と大阪で個展を開催することができました。」

カメラマンとしての実務経験を積まないと、将来の仕事が無くなるのではという不安を感じていたという髙田さん。

「30歳になるまでに、とにかくいろいろな撮影を経験して技術を身につけようと、美術品を扱う会社でカメラマンとして勤めることにしました。絵画や彫刻、アンティーク家具、ジュエリーなど様々な美術品のほかに、先輩のカメラマンが、車や小さい電子部品を撮影していたこともあり、幅広い撮影を教えてもらうことができて、いい経験になりました。」

カメラマンとしての実務経験も積み、さらに別の会社に転職するかと考えていたとき、髙田さんに転機が訪れる。

「福岡県出身の専門学校時代の友人に誘われ、博多を訪れた時に、少し足を伸ばして博多から船に乗って壱岐まで旅をしました。東京に戻ってからもその時の壱岐の風景が忘れられず、『いつか暮らせたらいいな』と思っていましたが、次はもっとじっくりと壱岐市のことを知ろうとパートナーも連れて、お試し移住を兼ねてもう一度訪れてみました。一週間ほどの滞在期間の間に仕事サポートセンターに行って話を聞き、そこで地域おこし協力隊のことを教えてもらいました。」

当時募集されていた活動内容は、「ふるさと納税関連業務担当」「情報発信業務担当」「メディアプランナー」の3つだったという。

「中でもメディアプランナーという仕事が気になりました。広告代理店のような仕事であれば、前職の経験を活かして仕事が出来るのではと思いました。以前から、画家であるパートナーと『40〜50歳ぐらいになったら自然豊かなところで創作活動をしよう』といった話もしていました。パートナーも壱岐を気に入ってくれたので、そこで移住を決断しました。」

無人島の辰ノ島。圧倒されるような自然も髙田さんが気に入ったポイント

壱岐で暮らす人々を日々取材する

髙田さんの活動の一つに、壱岐に移住を考える人のためのポータルサイト「いきしまぐらし」の特集記事の作成がある。

「このサイト内にある『壱州人辞典』という特集を制作しています。壱岐の良さを伝えるには、その地に暮らす人にフォーカスを当てるのが一番わかりやすいと考え、他の協力隊員と企画しました。5名で制作を行っていて、私はインタビューの進行確認や撮影を担当しています。取材を通してそれまでご縁がなかった方に会いに行き、知り合いになれるのが嬉しいです。取材でお世話になった方と町中で会った際に声をかけていただいたり、ご飯に誘っていただいたりと、活動と生活がリンクしていくことが協力隊ならではだと感じています。」

そのほかに、ふるさと納税の返礼品の撮影や「壱岐島オフィシャルフォト」というSNSでの情報発信も行っている。

「壱岐には肉やウニ、加工品など様々なふるさと納税の返礼品があり、カタログを制作する会社や事業者の方から依頼を受けて商品を撮影しています。2021年には、協力隊の仲間と一緒に移住促進パンフレットを制作しました。自分たちで責任を持って企画し、冊子のデザインや内容などは任せてもらえたことが、楽しい思い出になっています。何かを企画するということは常に予算との戦いでもありますが、市役所の担当の方も私たちのやりたいことが叶えられるようにサポートしてくれるので、感謝しています。」

着任が新型コロナウイルス感染症拡大による1回目の緊急事態宣言発令と重なり、その後も活動にも影響が出たという。

「予定されていたイベントが中止になってしまったり、島内各地で行われる例祭なども規模縮小になったり、取材が難しくなることもありました。自分の思い通りの活動がまだできていない状況ですが、これから頑張っていきたいと思っています。」

左)協力隊の仲間と作成した移住促進のパンフレット 右)壱州人辞典の取材中の様子。人物や商品撮影などを髙田さんが担当する

東京にいた頃と比べて、大きく変化した生活と価値観

東京にいた頃の仕事はかなりハードだったと振り返る髙田さん。

「カメラマン時代とは生活が大きく変わりました。前の職場では残業が多く、夜中の12時に最寄りの駅に着いてそれから夕食といった生活でした。壱岐に住むようになってからは17時過ぎには終業し、18時前には夕食を食べています。週3日しっかり休んでいますし、時間に余裕ができて、自分のことを考える時間が増えました。本を読んだりする時間もできて、とても穏やかな毎日を過ごしています。」

また、壱岐では、以前のように外食もしなくなったという。

「今は、ほぼ毎日自炊をしています。自宅が海のそばなので、夕食のおかずに自分で釣ってきた魚を捌いて食卓に並べることもよくあります。こちらは野菜も安いし、おすそわけをいただくことも多く、東京にいた頃に比べてお金を使わなくなりました。壱岐での暮らしは程良く物があり、ないものがあれば自分で作ればいいやと考えるようになりました。ストレス発散のためにお金を使っていた以前と比べると、物欲がなくなった感じです(笑)」

釣り上げた魚は、その日の夕食の食卓に

任期終了後は、クリエイターたちの手助けをしていきたい

「メディアプランナーという仕事は、一見何をやっているのか分かりにくい仕事だと思います。表から見えにくい部分ばかりですが、ディレクションがなくては回らないことも多いですし、自分が関わることで物事がスムーズに進むという経験もしてきました。協力隊は目に見える結果を残してこそと思われがちですが、『縁の下の力持ち』的な協力隊の存在も重要だと感じています。」

そんな髙田さんだが、今後やってみたいことがあるとか。

「活動の中で、写真やデザイン、印刷について相談されることが多いので、クリエイターや、ものづくりをする人たちの困りごとを解決できる場所を作りたいと思っています。壱岐には、画材店や、自分で印刷、製本ができるサービスセンターがないので、用紙や画材を触って試したいとか、少部数で印刷したいといった細やかなサービスへの対応が難しいということがあります。こうした要望に応えられる場を作ることができればと思っています。」

任期終了後は壱岐に拠点をおいて、フォトグラファーとしても作品を撮り続けるという。

「カフェで展示させてもらったり、ゲストハウスに撮影した写真を置いてもらっています。協力隊としてSNSに発信する写真とは違った自分の作品なので、それを伝えられる場がこの壱岐にあることはとてもありがたいです。私は壱岐との相性がとても良かったと思っています。これから協力隊を目指す人に伝えたいのは、その地域のルールを知り、最低限の暮らしのマナーを知っておくことでしょうか。縁があってその土地に来たのだから、気負いすぎず、毎日を楽しむことを忘れないでほしいです。」

左)カフェで自身の作品を展示 右)島内の勝本町のゲストハウスでも作品を展示

Profile

長崎県 壱岐市 地域おこし協力隊 現役隊員
髙田望さん

1990年生まれ。東京都出身。美術品等を撮影するカメラマンとして活動後、休暇で偶然訪れた壱岐の魅力に惹かれ、パートナーと共に移住を決める。2020年4月に地域おこし協力隊として着任。情報発信のための写真撮影や移住促進のパンフレット制作、壱岐で暮らす人々を取材してウェブサイトで紹介する、といった業務を担当する。